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風水は4000年もの歴史がある学問で、自然哲学であり、データに基づいた「統計学」でもあり、これゆえ風水は論理的、左脳的な学問です。他方、スピリチュアルは直感、右脳を駆使したものである。この点で両者は異なる。
しかし、よくよく考えれば、風水の「氣」も、スピリチュアルな世界も、目に見えないものを扱っている点では共通している。同じ世界なのだ。同じものを左脳・論理で見るか、右脳・直感で見るかの違いだけである。
★その昔、「風水」と言う言葉さえなかったその時代・・・
自然と共に暮らしていた人々は、誰にも「氣」を感じ能力があり、今で言えば、みな風水師です。気の流れや目に見えないエネルギーの存在は、当時の人々には”自明の理”であり、「氣」を肌で感じることは、「ごく普通のこと」だったでしょう。
ところが、時を経るにしたがって、そのような人間の”感性”が衰え、「体で感じる」ことができなくなり、それに代わって登場したのが「頭での理解」、知識としての風水であり、そうやってできたもの、体系化されたのが今の「風水理論」です。
風水はもともと「道教」の中の「仙道五術」の奥義です。
「仙道」というのは、「仙人」(せんにん)になる方法を追求する学問のことで、風水の起源はこの辺にあり、仙人は風水師でもあったとされる。
目に見えない「氣」を感じ、読み取る。そうした「仙人・風水師」の活躍で、風水の理論が蓄積されてきたのであり、彼らもまた(ある意味)スピリチュアルな能力の持ち主である。それが本来の風水師の姿でもある。
現代のスピリチュアルな人たちは、たまたまそのような能力を持ち合わせていたか、うまく開発できたか、そのいずれかです。それは潜在的に誰もが持っている能力の一つあり、特殊なものではない。
もともと、風水は「氣」という目に見えないものであり、それは人間の「五感」を越えたところに存在する。それを統計データを基にして論理・左脳で理解するか、直感・右脳で理解するかの違いである。
氣とは本来、「感じ取る性質」のものであり、それは人間の五感を越えた所に存在し、それを知るには五感を越えた「知覚力」が必要になる。それをことさらに、「風水はスピリチュアルとは異なる」と主張する人を見ると、不思議に思える。
どちらが良いか悪いかではなく、その「バランス」が大切です。
ある場所(土地)の気は、ある人には反応しても、他の人には反応しないかもしれない。「地の気」と「人の気」、すなわち「人と土地」の相性の問題である。それが分かるには、「氣」を感ずる力が必要になる。
風水八卦鏡や水晶の効果?
伝統風水の一部では、八卦鏡や水晶には効果がないとされる。その理由は「風水の文献に書かれてない」、あるいは「中国の著名な先生、風水の第一人者がそう言うから?」と。これも考えてみれば変な捉え方で、本に書かれているから効果があり、書かれてないから、効果がないということになる。判断の基準がおかしい。実際に使用して、効果がないというのであれば話は分かりますが。(ただ、効果の現れ方が人によって異なるのが難しいところです)
水晶の効果の「有無」は簡単です。
水晶には「浄化のパワー」があり、場のエネルギーを整えたり、悪気を浄化する効果がある。ちょっと敏感な人ですと、水晶を手に握ると「そのエネルギー」を感じることができますが…。(だから、風水師にはそのような「感性・知覚力」も大事になる)。
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