−風水と意識の現実化−
  風水研究所

HP管理人の独り言−A
風水の各流派、どの説が正しいのだろうか?

風水には、さまざまな流派・説があり、捉え方に違いがある。
それぞれが主張の正しさを展開し、風水を学ぶと必ずこの「難題」にぶつかる。一体どれだけ多くの人が迷い、混乱したことだろう!

一般に、二つの異なる意見があれば、「どちらか正しく、どちらか間違っている」ことになる。
では、どの流派の説が正しいのだろうか?


結論から言えば、こうである。(意識の現実化ということを考慮すれば)、
風水のどの流派の説も「正しい」ということになる。

例えば、古来から伝わる風水の「四獣神」がある。
四獣神は「東・西・南・北」を守護する「護り神」と言われ、古代中国で誕生し、日本へ伝えられました。日本では「高松塚古墳やキトラ古墳」の壁画が有名です。

しかし、実際、「効果がどうなのか?」と言われれば、説明のしようがありません。
早い話、信じるか信じないかの話になる。

私たちが何かを強く意識すれば、そこには「エネルギー」が生まれる。
何かに怒れば、「怒りのエネルギー」が放出されます。それは「純粋なエネルギー」であり、どんな思いであれ、感情であれ、それを強く意識すれば、そこにエネルギーが生まれ・集積し、やがては”実態”となってくる。それが創造(現実化)である。。

人の意識はそれほど「力強い」もので、多くの人が信じれば信じるほど、力は増幅され、さらに大きな力になる。 古代中国、4000年もの昔から、人々のそうした思いや願いが凝縮されたもの、それが風水の開運シンボルの「四獣神」です。

風水の四神獣は実在しない「想像上の霊鳥」ですが、人々の思いや願い、そうしたエネルギーが詰まったものであり、単なるモノではありません。だからこそ効果があるのでしょう。人の意識や思いが物事に影響を与えるなら、そのようなエネルギーが詰まった四獣神に効果があっても何ら不思議ではない。

平安の願い、神・仏への祈り・・・、
病気のときは「薬師如来」を唱え、力を持ちたいときは「不動明王」を念じる。
すべては人の作りあげた意識作用ですが、信じることで仮想が「実態」となってくる。

意識を向ける対象が何であれ、人の意識の投影によって成長し、多くの人が信じれば信じるほど、そのエネルギーは強くなる。それが物事を背後から動かし、ご利益・ご加護となって現れてくる。それは迷信でもなく、偶像崇拝でもなく、「エネルギーの原理」をそのまま具現化したもので、純然たる「エネルギーの法則」である

風水の各流派、それぞれが自分達の考えが正しいと信じていれば、その意識はパワーを持つことになる。さらに、より大勢の人が信じれば信じるほど、力を増すことになる。そしてそれが、「意識の現実化」となって現れてくる。

例えば、金運の方位は「西」、色は「黄色」と信じる人には、それが正解である。
他方、金運の方位を「北」と信じる人には、それも正解である。そして意識作用によって、それぞれの「信ずる方向」に効果が現れてくる。これが意識の現実化である。

二つの異なる意見でも、どの説も「正しい」ことになり、「どちらが正しいか、間違いか?」と問うのは愚問になる。答えが一つとは限らないのである。(流派が成立する「ゆえん」はここにある)

よって、たとえ迷信に類することでも、頭から信じれば実効性(可能性)を持つことになる。

「思考は現実化する」
一番有名なのは古代インドの『ヴェータ哲学』で、「純粋な魂の信念は実現する」という言葉である。この頃は科学者の中にも、(まだ少数ではあるが)この現実世界は自分の「意識の延長上にある」と言う科学者もいる。「量子力学」である。

「観察者」(人の意識)が物事の結果に影響を与えるという「観察者効果」。
これは
量子力学の「二重スリット実験」で示されたものですが、どうやら人間の意識というものは、物事に影響を与えるらしい。(この実験は何度やっても同じ結果になるが、「なぜそうなるのか」がうまく説明できない。その解明は科学の進歩、量子力学の発展に期待するしかない)。

「思考は現実化する」・・・
現代科学の最先端をいく「量子力学」、その科学が導き出した「答え」である。


風水を信じる人には風水の原理が作用し、家相を信じる人には家相の原理が作用する。
インドの「ワースツ」(ヴァ-ストゥ)という風水を信じる人には、それが作用する。風水に全く関心がない人は?_その影響を受けることはないでしょう。(但し龍脈や龍穴などの自然原理から発生するものを除いて)。。

精神世界の捉え方で言えば、この世には、「正しいも/間違いも」ない。「あなたが正しいと思うから、正しいのである」という捉え方である。したがって、何が正しく、何が間違いなのかを論ずるのは無意味でもある。量子力学の「観察者効果」も同じようなことをいう。



● 風水とスピリチュアル

「伝統風水」の集まりなどでスピリチュアルな話をすると、”異端視”される。タブーとされる。
風水は、何千年もの歴史がある学問で、自然哲学であり、データに基づいた「統計学」でもあり、これゆえ風水は論理的、左脳的な学問です。一方、スピリチュアルは直感、右脳を駆使したものである。この点では両者は異なる。

しかし、よくよく考えれば、風水の「氣」も、スピリチュアルな世界も、目に見えないものを扱っている点では共通している。同じ世界なのだ。同じものを左脳・論理で見るか、右脳・直感で見るかの違いだけである。それをなぜ異端視するのだろうか? (外から見れば不思議な話しです)。

その昔、「風水」と言う言葉さえなかったその時代・・・
自然と共に暮らしていた人々は、誰にも「氣」を感じ能力があり、今で言えば、みな「風水師」です。気の流れやエネルギー、目に見えないエネルギーの存在は、当時の人々には”自明の理”であり、「氣」を肌で感じることは、”ごく普通のこと”だったでしょう。

ところが、時を経るにしたがって、そのような人間の”感性”が衰え、「体で感じる」ことができなくなり、それに代わって登場したのが「頭での理解」、知識としての風水であり、そうやってできたもの、体系化されたのが今の風水理論です。

風水はもともと「道教」の中の「仙道五術」の奥義です。
「仙道」というのは、「仙人」(せんにん)になる方法を追求する学問のことで、風水の起源はこの辺にあり、仙人は風水師でもあったとされる。目に見えない「氣」を感じ、読み取る。そうした「仙人・風水師」の活躍で、風水の理論が蓄積されてきたのであり、彼らもまた(ある意味)スピリチュアルな能力の持ち主である。それが本来の風水師の姿でもある。

現代のスピリチュアルな人たちは、たまたまそのような能力を持ち合わせていたか、うまく開発できたか、そのいずれかです。それは潜在的に誰もが持っている能力の一つあり、特殊なものではない。

もともと、風水は「氣」という目に見えないものであり、それは人間の「五感」を越えたところに存在する。それを統計データを基にして論理・左脳で理解するか、直感・右脳で理解するかの違いだけである。しかし、氣とは本来、「感じ取る性質」のものであり、それは人間の五感を越えた所に存在し、それを知るには五感を越えた「知覚力」が必要になる。それをことさらに、「風水はスピリチュアルとは異なる」と声高に主張する人を見ると、不思議に思える。

どちらが良いか悪いかではなく、その「バランス」が大切です。

「氣」の流れを調べて、風水の「良し悪し」を判断する、それが風水師の仕事である。いくら風水がデータに基づいた「統計学」であっても、肝心の「氣」を感じ取る能力に欠けていれば、風水師としては何かが欠ける。(地図を見れば、「氣の流れ」が一目瞭然で分かる場合もありますが)。

さらに言えば、ある場所(土地)の気は、ある人には反応しても、他の人には反応しないかもしれない。「地の気」と「人の気」、すなわち「人と土地」の相性の問題である。それが分かるには、「氣」を感ずる力が必要になる。感性の問題。


風水八卦鏡や水晶の効果?
伝統風水の一部では、八卦鏡や水晶には効果がないとされる。その理由は「風水の文献に書かれてない」あるいは「中国の著名な先生、風水の第一人者がそう言うから?」と。これも考えてみれば変な捉え方で、本に書かれているから効果があり、書かれてないから、効果がないということになる。判断の基準がおかしい。実際に使用して、効果がないというのであれば話は分かりますが。(ただ、効果の現れ方が人によって異なるのが難しいところです)

水晶の効果の「有無」は簡単です。
水晶には「浄化のパワー」があり、場のエネルギーを整えたり、悪気を浄化する効果がある。
ちょっと敏感な人ですと、水晶を手に握ると「そのエネルギー」を感じることができますが…。
(だから、風水師にはそのような「感性・知覚力」も大事になる)。



  文責:ホームページ管理人、岡部
  上記の文書は、ホームページ制作時に感じた「個人的な感想」です。
  ご質問などは管理人までお問合せください